再演としての「cicada」、座長の想い

 

なぜ「再演」なのか。

 

2013年5月の初演からこれまで。

紆余曲折を経て新たな活動を

スタートする座長・菊地が、

その想いを綴っています。

 来年1月の公演で旗揚げを予定している八焔座。

 私のことを知っている方々の中には、新たな団体のスタートに何故「cicada」という作品を持って来たのかと思う方もいるかもしれない。何を隠そう、この「cicada」は3年前に今回と同劇場である王子小劇場にて上演された作品なのだ。つまり今回で2回目、再演である。

 

 新しい団体のスタートを再演作品で飾るというのは、もしかしたら消極的と取られる危険性があるかもしれない。事実、脚本演出を担当する私自身もその決断をするのに長い時間をかけてしまった(これに関しては副座長の朝戸に大変な迷惑をかけてしまった)。しかし、いざやると決め、脚本を一から作り直し、演出を考え、キャストを決め、徐々に具体性を帯びてきた段階で、気が付いた。

 再演という行為はゼロから新作を作るよりも能動的な、積極的な行為であるということに。

 

 

 これに関して語るために、私の高校時代、北海道帯広市に住んでいた頃に遡ってみたいと思う。

 

 当時、役者志望だった私は、地元のクラシックバレエ教室に通いつつ、高校の演劇部に所属していた。「高校演劇」という言葉にある種の嫌悪感がある方もいるとは思うが、私が所属していた部の顧問は皆さんが思うそれとは少し違い、現代口語演劇をしっかりと勉強されている方であった。

 ある日、顧問と諸先輩方に連れられて、大通りに面する古めかしい喫茶店、「大通茶館」に行った。どういった縁かは知らないが、所属先の演劇部とは古い付き合いらしく、新入生の面通しは仕来たりになっているようであった。そこで出会ったのが、マスターのK氏である。

 中学の時分から芸の道で生きていこうと決めていた私は、その後も足繁く通うようになった訳だが、マスターのK氏は「演研」という、主に青年団の平田オリザ氏の作品を上演して来た劇団の主宰兼演出家の方であった。実際のところ私は、お店の看板よりも、その隣に大きく書かれた「劇団員募集」の文字の方が記憶に残ってしまっている。

 

 もしかしたらここでの出会いが、役者から演出家へ、方向転換のきっかけになったのかもしれない。

 K氏との話の中で、かつて平田オリザ氏が「演研」のために新作を書き下ろしてくれたこと、そして同じ作品を再演、再々演と何回も繰り返しているということがわかった。

 

「なぜ同じ作品を繰り返すのか?」

「新作をたくさん出していったほうが良いのではないか?」

 若干16歳の、演劇の「え」の字もわかってないようなガキンチョの私に、K氏は丁寧に答えてくれた。

 

 「人が変われば作品も変わる。同じように見えてもそれは全く別物だし、仮に同じ人間がやっても、演劇はナマモノだからその時の呼吸によって変わってくる。だから僕らは同じ作品をやるし、来てくれたお客さんもみんな、やっぱり前とは違うねって言って帰るんだ。以前作ったもののどこを継承して、どこを再構築するか。そこを考えるのが作品の違い、そして深みに繋がって行くと思うな

 25歳の今、この時になってようやく、その言葉の意味を理解出来た気がしている。

 

 あらすじにもあるように、「cicada」は、義眼という線で繋がった純と玲の関係性から始まる物語。

 演劇の土台である戯曲に手を加え、新たなキャストが加わり、新しい呼吸を始める。

 既に形作ったものを解体して、違う形に再構築するという、生み落とした子供をまた子宮に還すような行為によって、きっと3年前とは違う形で、過去の私が伝えたかったことをより深く表現出来るのではないか。

 

 そう信じているからこそ、「cicada」という作品を八焔座のスタートに持ってきたのかもしれない。

 

 作品とは私にとって子どものようなもの。

 2016年1月、あらためてこの世に産声をあげる「cicada」が、どのような形で皆さまの胸に届くのか。

 慈しみと願いを込めて、丁寧に育てていきたいと思います。

 

 

 座長 菊地史恩